今日も鬱でした。

パートが終わり雨道をふらふら帰って来ました。

私の黄金の時代は終わり、只の主婦に成り

それでも帰り路においては、大声で歌いながら帰るのです。

私の黄金の時代とは、鬱が濃く私を覆っていた時期で

鬱が故に、もしくは精神障害故に、何でも出来るのだと息巻いていた時代なのです。

私の世界は沢山の闇やら光やらで構築され、そのどちら共に行ける術を持っていたように思います。

それだけの不安定さを持ち、危うさを持ち、開放的であり、閉塞的でした。

沢山の不幸を背負っていると、信じておりました。

沢山の人から、しあわせを背負わされていると、信じておりました。

 

今なら、他人が私に何の期待もしていないことがはっきりと分かります。

 

結婚して住まいを移し、パートのお仕事を始めました。

最初は必死になって仕事をしました。

どんなに喉が渇いても休憩などせず、気持ちが擦り切れても動き続けまし

それでも慣れない仕事や人、言葉のニュアンスの違いによる勘違いが招いたミスで注意される日々でした。

勤めて一カ月経たない内に、体を壊しました。

微熱が続き、頭痛や腹痛もあり休みがちになりました。

仕事に行けた日も、主婦として炊事掃除とやることが多く心も体も休まらず、どんどんと自分が弱い人間に思えてきました。

私は何でもできる世界を持っていたのに、未来など無くとも、未来が見えずとも、私は自分らしく生きていたはずだったのに。。。

結婚したことに悔いはなくても、自分の置かれた環境を憎みました。

何故、こんな不便なところに来てしまったのだろう。

私がやりたいことは全て遠くなってしまった。

そんな思いが毎日、心にもやもやとかかっておりました。

 

勤めるにあたり、私は周りに自分の病気を打ち明けませんでした。

そんなある日、同僚の方から『鬱でしょう』と言われました。

その方は威圧的な雰囲気を持っていて、好きではない寧ろ嫌いな分類に入る方です。

私は押されると断りきれない、つまりは否定できないものですから、肯定しました。

『やっぱりね』と言わんばかりの激励を受けたのを覚えています。

その後、勤めて長い安心感のある方に『抱えてる病気があるんじゃないか』聞かれました。

私はその方には苦手意識もなく友好的に思っていましたので、鬱病であることを隠しませんでした。

人手の足りない職場ですから、役に立たずとも働いて欲しかったのでしょう。

『○○さんが休みやすいように何人かに話した』と、翌日には告げられ

私は皆にばらされたが故に休むことができなくなりました。

心も体も休まらない、ストレスで吹き出物も増え、転職を考えていた矢先に今まで以上の頑張りをしなければなりませんでした。

旦那様は病気に圧倒的な理解がありますが、転職についてはあまり良く思っていません。

行きすぎたストレスの所為でしょうか、ここ一カ月程顔面が痛くなり鎮痛剤を服用するようになりました。

その職場で、まだ働き続けています。

今日も鬱でした。

スタッフの皆さま、お客さま共々、死んでしまえと心で思いながら働いています。

 

ほんとうのさいわいを探しに

私は何処へ行けるのでしょう?